こんにちは、ナカミゾです。
新人日記18回目です。
「秋の日は釣瓶落とし」
秋の日が急に沈むことを、井戸に落とす釣瓶にたとえていう言葉があります。最近、日の短さを実感し、少し寂しく感じています。
秋になると“○○の秋”と言われることが多くあります。例えばスポーツの秋は、1964年の東京オリンピックが由来しているといいます。古くから秋は運動会の季節だったこともあり、体を動かすのに丁度よい季節を表しています。現在は5月ごろに運動会を行う学校も増えてきているので、いずれスポーツの春が定着するかもしれません。
他にも、枕草子の一説に“秋は夕暮れ。―日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず”、とあります。日が沈んでもなお、趣深いのが秋だと表現しています。
秋は特に、黄昏時の空の魅力を引き出すことがあります。よく「黄昏ている」という言葉の使い方をする人がいますが、本来、黄昏は夕方のうす暗い時間を表しているので“~ている”とは使いません。夕方っていると使うと違和感があるのと同じです。黄昏時とは、夕方のうす暗い時期はすれ違う人の顔がよく見えず、「誰そ彼ぞ?(たそがれ)」からきていると言われています。
私は専ら食欲の秋が先行しています。ほくほくのサツマイモに、キノコの炊き込みご飯、秋の刀の魚であるサンマに味噌汁が並ぶ食卓は、身も心も満たされます。
最後までお読みいただきありがとうございました。